“大東亜戦争”という言葉をなぜ使わないのか
けさの西日本新聞に出ていたのは、『陸自連隊Xに「大東亜戦争」投稿3日後削除』という記事です。
陸自第32普通科連隊公式Xに「大東亜戦争」と投稿 「不適切な表現」3日後に削除(西日本新聞me)
陸上自衛隊第32普通科連隊(さいたま市)が、活動内容などを紹介する公式X(旧ツイッター)で、「大東亜戦争」という言葉を使って、こんな投稿をしていました。
「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に参加しました」
「大東亜戦争」という言葉は、「太平洋戦争に対する当時の日本指導者層による呼称」と言われています。
私たち世代ももちろんこの言葉は知っています。私たちが大学生のころ、昭和の終わりから平成の始めに「大東亜戦争」を使う人たちは、一部の右翼で普通の人ではないという感じでした。そこには戦争に対する無反省があって、ほかにも「八紘一宇」「五族協和」「靖国神社」「教育勅語」…こんな言葉を使う人を、僕らの世代は「気持ちが悪い」と思って避けていました。
アジア解放の戦いが「大東亜戦争」で、和(日)・朝・満・蒙・漢(支)の五族がともに手を携えて西欧の植民地主義から守ろう、という考え方でした。
でも実際は「遅れた植民地主義国」として日本が他の国々に対しての支配を強めていく過程だったことが、後から分かってきました。残虐な行為もそういう中から行われたのだと思いますが、建前は「五族協和」だったわけです。
「大東亜戦争」という言葉には、当時の日本民族が持っていたアジアの優越感や、引き起こされた大きな被害が隠されています。これを旧日本軍の後継者である自衛隊が平然と使ったということに対して、批判を受けているのです。
「時が経つ」とは怖いこと
ところが、使った人は「なぜ使わなくなったのか」ということをわかっていないと思うんですよ。そこが、旧校歌を高校の後輩たちが普通に歌っていたシーンと重なりました。
母校にはほかにも「生徒会の歌」(作曲・陸軍戸山学校軍楽隊)という歌があります。3番の歌詞は戦後に変わっています。
群馬県立高崎高校 生徒会の歌
(3番)
手をとり歩む健児らよ
豊けき個性(さが)を傾けて
永遠の平和を唱うべき
真理の道を究めなむ
戦前に歌われていた「旧3番」の歌詞を、私は高校時代に見て覚えています。
群馬県立高崎中学校 校友会歌
(旧3番)
護国の宮の 宮近く
武を練り文に励みつつ
いざや日本精神を
奮い起こさん もろ共に
高校生の僕は、「いざや日本精神を奮い起こさん」という時代に生きていたら嫌だな、と思っていました。







