「まさか明くる日に原爆が」前日に疎開先から広島に戻り…
内藤さんは6歳のとき、父と4人居た兄妹全員を原爆に奪われました。お墓には、1945年8月に亡くなった5人の名が刻まれています。1953年、母親も被爆の後遺症とみられる病に倒れ、14歳にして天涯孤独になったのです。

1938年、七人家族の三男として生まれた内藤さん。自宅は爆心地から1.7kmの現・広島市中区羽衣町にありましたが、戦況の悪化で、父と長男以外は現在の広島県廿日市市に疎開していました。
1945年、逓信局に勤めていた父が8月7日から中国・遼寧省へ出張することが決まります。戦局も厳しく「出張に行くと最後になるかもわからない」と、疎開していた5人は、父が中国に旅立つ前々日の8月5日、広島市内の自宅に帰りました。夜は久しぶりに家族全員で食卓を囲みましたが、内藤さんは「まさか明くる日に原子爆弾が落ちるとは思いもしなかった」と振り返ります。



































