1945年の原爆投下から10年間、何の援護も受けられず放置されていた被爆者たち。病気や貧困、社会からの差別に苦しめられる中、被爆者の川崎一郎さんはかつて、“悲惨のどん底”でこう叫びました。


「死んでからね、我々は香典なんかいらん。生きてるうちに香典の半分でもくれればいい」


病気や貧困、差別などに苦しめられてきた若き被爆者たちが立ち上がり、1956年に結成されたのが「長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)」です。

以来70年、自らを救い、人類を核から守るため歩んできました。

結成から70年。被爆者の高齢化が進む中、長崎被災協の地下講堂に、運動の歩みや被爆者の思いを伝える新たな「展示コーナー」が設けられました。

修学旅行生らが体験講話を聞く場所に並んだおよそ150点の展示品には、被爆者一人ひとりの歩みや思い、70年にわたる運動の歴史が伝えられています。

長崎被災協の横山照子副会長は「若い人たちに、こういう運動があったんだということを分かってほしい。被爆者が頑張ってきたことを、受け継いでいってほしい」と話します。








