差別と偏見に抗い続けた「被爆体験者」たちの病歴

しかし、長崎にも「雨」や灰を浴びたとする証言は数多くあります。1987年に被爆者団体が行った聞き取り調査。「被爆体験者」地域で多くの人が雨や灰をあびたと証言しています。さらにこの時点の「死因」で、がんの割合が全国平均を大きく上回る地区があったことが記録されています。

本田孝也医師:
「当時はまだがんの死亡率って今みたいに一位じゃなかった。その中でも高いっていうのは放射能の影響を示す資料と言えるのではないかと思いますね。渡辺さんなんかご存知でがんとか白血病とか(多かったんですよね?)」
被爆体験者 渡邊一則さん(当時6歳・旧古賀村):
「…多かったんだけども遺伝ばいとかね…いや原爆ばいってそういう風に言えない所があったとね、厳しい時代じゃったとね」
被爆者と変わらない差別や偏見。多発したがんによる死。地区をまわって聞き取りを続けてきた岩永さんは、被爆体験者の声こそ原爆の内部被ばくの証言だと訴えます。

上戸健一郎さん(当時7歳・旧戸石村):
「ボタ雪がものすごく降ったんです。(自分と友人が)腎臓病になりましてね(友人は)25歳の時に亡くなってしまいました。被爆が関わった病気かなと今考えるわけですけど…」

中田昭義さん(当時6歳・旧戸石村):
「母がね56歳で大腸がんで亡くなった。兄は80歳まで生きたんですけど肺がんで亡くなりました。弟は59歳胃がんで亡くなった。(放射線の)跡が残るという話を聞いて、ひょっとしたらこのせいじゃないのかと」








