2025年8月9日、長崎市に原子爆弾が投下されてから80年を迎えます。これは2017年に、特別な許可を得て長崎市松山町の原爆落下中心地を高度500メートルから撮影したドローン映像です。
この地点こそが、通称「ファットマン」と呼ばれた原子爆弾が炸裂した場所です。80年前のあの日、この空から、長崎の街の悲劇が始まりました。
そこから見た長崎の街のいまの姿です。
80年前、原子爆弾はこの上空500メートルでさく裂した

1945年8月9日午前11時2分、長崎の街の運命を決定づけた一発の原子爆弾。爆心地からわずか500メートルの上空で炸裂しました。
長崎市1945年8月9日、悲劇の発端となった空へ



爆心地上空500メートル。映像は、あの日、爆心地となったこの空から見た長崎の街の姿を再現しています。そこからみえた地上の長崎は想像していたよりはるかに近くで地上との間に遡るものは何もありません。
浦上天主堂

この場所には、かつて東洋一のロマネスク様式建築と称された美しい浦上天主堂がありました。爆心地からおよそ500メートルの距離に位置した天主堂は、一瞬にして崩壊。多数の信徒が命を落としました。
長崎大学医学部

爆心地のすぐ近くには、長崎医科大学(現在の長崎大学医学部)と附属病院がありました。爆心地からわずか600メートルの位置にあったため、多くの教職員、学生、入院患者が犠牲となりました。
長崎市立城山小学校

この場所には、城山国民学校がありました。爆心地からわずか500メートルほどの距離。当時、建物内にいた教職員や生徒、学徒報国隊として作業にあたっていた生徒ら、およそ1,400名が犠牲になったとされています。
今から80年前──


放射線と熱線と衝撃波が長崎の街を襲いました。時を超え、再びこの場所から、私たちは80年前の悲劇を想像します。そして、決して繰り返してはならないという誓いを、未来へと伝えていきます。

撮影 長征爾(2017年に特別な許可を得て撮影)