長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)
中村 桂子准教授:

ノーベル平和委員会が「日本被団協」の名を告げた瞬間、すでに鬼籍に入られた方を含む、あの方この方の顔が次々と脳裏に浮かんだ。私が今の仕事をする上で、大きな影響を受けた被爆者の方々だ。彼ら彼女らの存在がなければ、私の仕事への向き合い方はまったく違うものになっていただろう。そして私に限らず、核兵器廃絶に取り組む研究者、実務家、NGO関係者の中に、被爆者との出会いが自分の人生を変えた、と振り返る者はけっして少なくない。

世界中の人々の心を動かし、行動へと鼓舞してきたのは、被爆者が語ってきた「あの日」の惨状だけではない。言葉通り身を削りながら、「他の誰にも同じ思いをさせたくない」と訴えてきた被爆者の生き様が示す、深い思想や哲学に共鳴してきたからに他ならない。

日本被団協「結成宣言」が出されたのは、被爆からわずか11年の1956年8月だった。政府からの公的な支援は存在せず、多くの被爆者が心身への深い傷、生活苦、差別や偏見にあえいでいた。被爆者が残した数々の証言には、自らの運命を嘆き、あの日死んでしまった方たちを羨みさえするといった、壮絶な心情が吐露されている。

しかしそうした苦しみと葛藤の中でも、被爆者は、「もうだまっておれないでてをつないで立ち上がろう」(結成宣言)と動き出したのである。

暴力と憎しみの連鎖を断ち切る

それから68年余――被爆者が体現してきたのは、暴力と憎しみの連鎖を断ち切る人間の強さであった。もちろんそれは簡単なことではない。しかし、困難な時代にあっても、被爆者は希望を捨てず、他者の苦しみに共感し、公共善の実現に向けて対話を行うことをあきらめなかった。

それは不信と暴力が跋扈する今の世界の対極にあるものであり、私たちにそれを乗り越える力があることを思い起こさせる。血で血を洗うような争いが続く今だからこそ、私たちはあらためて被爆者の歩みから学ぶ必要がある。(中村桂子)