■ 辛い記憶や亡くなった家族を思い出して歌う
メンバー最高齢の宇木 和美さんは89歳。
集大成となる舞台を前に練習にも熱が入ります。

宇木 和美さん(89):
「今まで長い間ね、みんなと一緒に平和を願って歌ってきましたでしょ。その締めくくりだと思う。私たちの気持ちが世界中の人に伝わっていくように願いながら、この世界が本当にね、平和な時代になったらいいなって」

(先月 長崎市民会館で行われた ”長崎平和音楽祭” に向けた練習会 )
出演者ら「よろしくお願いします」
宇木さんは現在、ひまわりでの活動に加えて『語り部活動』も行っています。
宇木さん「校舎の窓ガラスも全部割れていました」
宇木さんは70歳を過ぎるまで自身の ”被爆の記憶” に蓋をしていました。
宇木さん:
「夢に出てくるんですね。そしたらもう怖くて。もう思い返さないようにしていたんですね」

宇木さんは長崎高等女学校の1年生だった12歳のとき、爆心地から4.2キロの石橋電停近くの大浦下町の自宅で被爆しました。
父親と一面焼け野原となったまちを歩き、今でも脳裏に焼き付いている光景があると言います。
宇木さん:
「歩いているすぐ線路のそばに、小さな子どもを抱いたお母さんが横たわっていらしたのね…黒こげで。形でわかるんですね。それを見たらもうかわいそうでね」

結婚してからは夫の転勤で全国を転々としていましたが、定年を機に長崎に帰ってきました。
宇木さん:
「長崎の資料館を見に行ったんですね、原爆の。すると今まで思い出さなかったその浦上の景色がバーッて浮かんできたんですね。
私は被爆者でありながら、何にもその被爆のことについて誰にも話さなかったっていうことを考えたんですね。
本当にこれでいいのかしら。自分が経験したこととかやっぱり、若い人たちに伝えないといけないんじゃないかと」
70を過ぎ、今からでも平和への願いを後世につないでいきたいと考えていた時、知ったのが『ひまわり』でした。
15年に及ぶ活動を通して、歌が持つ力を実感しています。

宇木さん:
「(会のメンバー)みんながその悲しみ、昔を思い出して、家族のこととか、いろいろね、亡くなった人たちを思い出して歌っている。
歌っていうのは理屈じゃなくて、そのまま歌っている心っていうのは相手に通じるんですね」

ひまわりが3年ぶりの式典に臨む今年、ロシアのウクライナ侵攻で世界は再び核の恐怖にさらされています。
こうした状況だからこそ、言葉の壁を超えられる”歌”で世界に訴えます。
宇木さん:
「一つの目的に向かって、みんなが心を合わせて歌ってきたんですね。だから平和を願って、もう戦争は嫌だってそういう思いでね。一生懸命に、みんなに少しでも伝わるように歌いたいと思います」

ひまわりの18年間の活動に大きな区切りをつける舞台。
会長の田崎さんは、核兵器のない世界を見ることなくこの世を去っていったメンバーの想いも背負い舞台に立ちます。

田崎 禎子会長(81):
「やっぱり最後っていう言葉がやっぱり胸に響いてきて、最後だから頑張って世界へ歌声で平和を届けたい」

もう二度と被爆者を作らないで
ひまわりは9日、力強いその歌声で願いを込めた最後の花を咲かせます。
♪ この広い世界の人々の中に ~
「もう二度と」作詞・作曲 寺井一通 より