集団移転の計画が白紙に「自分一人で空回りしていたのか…」

一方、集団移転を望んでいたのは、これら3つの集落だけではありません。

谷内均さん
「水害でこんだけ道がなくなってん」
Q.これだけアスファルトが落ちた?
「そうそう」

山を隔てて別所谷町と隣り合う、輪島市の打越町です。

「ここに家が建っとってん。向こうに引っかかっとったわけや、こんだけ(豪雨で)流されてん」

12世帯20人がいた集落は、震災後は3世帯に。

谷内均さん
Q. 今残っている人は?
「いない、ゼロ。建てようと思っても、もうここで住宅はダメって。急な斜面の山があったりで。もう、ここでは生活できません」

打越町の区長、谷内均さん。地震から半年後、集落からおよそ3キロ離れた場所への集団移転を検討し始めました。しかし…。

谷内さん
「(地域の繋がりを)残したい気持ちがあって皆さん一緒なところに生活できればいいなと思っていたけど…なかなかね…意見が合いません」

集落の半数以上が70歳以上の高齢者なことに加え、住民の多くが市外に避難し、話し合いもままならない状況が続いたのです。散り散りになった集落をまとめる難しさを肌で感じた谷内さん。移転の計画は白紙となりました。

谷内さん
「本当にみんなで集団移転したかったのか…個人の気持ちは分からん。後々考えてみれば、なんか自分一人で空回りしてたような気もせんでもないね」