
日本への引き揚げが決まったのは終戦翌年の6月。2人の兄が戦死していたことを知りました。
(下原邦義さん)「帰ってきてから、ずっと思っている。戦争だけは、だめ。見ているから、いろんな状況を。家は焼かれる、ものすごい惨め。田畑は荒れる。なんにも意味ないよ」

霧島に帰り、しばらくして戦死した兄の妻だったフジさん(94歳で死去)と結婚。兄が残した子どもたちを含め、6人を育てました。
(下原邦義さん)「帰ってきてからの生活は、とにかく食料生産に一生懸命だった。開墾して畑にして必死だった。生きるのにね」

下原さんは、3年ほど前から戦争体験を伝える活動を始めました。
Q.これまで戦争の話はしなかった?
(義理の娘・登記子さん)「(戦時中の話は)全然しなかった。苦しいんですかね。戦友をなくしたり、いろんなことがあったから。自分に与えられたものがあると感じたんでしょうね」

(下原邦義さん)「ニュースを見ても戦争が起こっている状態だから、絶対、話し合いをもって。命の奪い合い、これだけは絶対してはいけない」

先の大戦の軍人だった105歳。戦後80年の夏の証言です。