誰にでも笑顔だった清加さん 猛烈な反抗期 そして就職「24年の人生に悔いはなかったと思う」
小さいころから元気で明るくひょうきん、誰にでも笑顔。そのまま大きくなったが、言い出したら曲げない芯の強さもあった。中学校ではバレー部。高校に入ったあたりから、母子の間にすき間ができた時期があった。高校2年生のころ、母のさとみさんに向けられた「猛烈な反抗期」があったと打ち明ける。
「とっくみあいのケンカもして、私も手や腕に何度かあざもできました。“くそババア死ね”なんて言われて(笑) 一生懸命育てた子どもにそんなことを言われて、何度泣いたことか…お風呂場の厚いガラスも割られたし、今でも我が家のあちこちの壁に穴があるんですよ(笑)」

ただ、家の外では友達思いで明るい清加さんのままだった。非行もなく、警察や学校から呼び出されるようなことも一度もなかった。
「家でも親にだけ反抗期で、一緒に住んでいたおばあちゃんにはとっても優しい。いま思えば、何かと口うるさかった母親の私が悪かったのかなぁ…」
清加さんの反抗期をユーモラスに、懐かしむように話す新原さん。等身大の清加さんの姿が浮かび上がってくる。
清加さんは地元の高校を卒業後、北九州の大学に進んだ。就職活動では何社も落ちたが、大手証券会社に入社した。頑張って働き、3年目を迎えるときに事件が起きた。
「加害者は罪に問われなかった」
清加さんを殺害した男は警察の調べに対し「自分の部屋がある3階とひとつ上の4階の部屋を一軒一軒回り、たまたま鍵がかかっていなかった部屋に侵入した」と供述したという。
男は統合失調症だった。
そして事件から2か月後の4月、検察は「心神喪失の状態で、刑事責任を問えない」として、男を不起訴処分とした。精神障害で善悪の判断ができず、裁判で罪に問うことはできないという判断だった。
加害者が精神障害だったと聞いて、母のさとみさんは「良かった」と思ったという。
「そういう相手で、ある意味良かったと思いました。もし娘が誰かから強く恨まれたり、憎まれたりする生き方をして事件にあったんだとしたら、すごく苦しいですよ。でもそうじゃなかった。誰からも恨まれていなかったんだと思って。」