(高橋さん)「養父が病気で亡くなる前に教えてくれた。突然すぎて胸が苦しかった。日本人は中国を侵略した立場で、最初は受け入れられなかった。だが、次第に『仕方ない』と思うようになった。それが事実なのだから」


中国で養父母のもと、好きな音楽や歴史を学び、当時はまだ行く人が少なかった高校まで進学しました。養父母に感謝する一方で、自分のような辛い経験をしてほしくないと話します。


(高橋さん)「日本と中国が永遠に友好であってほしい。このままだと自分のような体験をする人が出てくる可能性を心配している」

    

日中関係 この50年で度々対立も…

日中が国交を正常化した当時、両国は「恒久的な平和友好関係を確立すること」で一致しました。しかし、この50年、日本と中国は、歴史認識や尖閣諸島の領有権などを巡って度々、対立してきました。

日中関係について今、街の人はどう考えているのでしょうか。

Q.日中国交正常化から50周年だが?
(30代主婦)「初めて聞きました」

Q.50周年と知っていたか?
(20代会社員)「知らなかった」
Q.どういう風に日中関係を築いていくべき?
(20代会社員)「えっ…」

(70代)「あの時(国交正常化)は画期的だった。田中角栄さんが行って。みんなが知恵を出し合って交流するしかない」

一方、中国からの留学生は…。

(中国人留学生20代)
「日常的な文化・習慣についてお互いの交流や、特に若者の交流が重要」
「国と国の間のことは私たちの問題ではない」



日中の国交や交流のあり方、そして、両国の人々が抱くイメージも変化を重ねてきました。

「曲折に富む」 94歳男性が語る日中関係の50年


(海江田さん)「曲折に富む。悲観してもいけないが、楽観してもいけない」

この50年をこう振り返るのは、県日中友好協会の会長、海江田順三郎さん(94)です。40年以上にわたり鹿児島と中国の交流活動を続けています。