忘れられない9月29日 夫婦でニュースを待つも…
鹿児島市で暮らす高橋達雄さん(80)と、妻の頌雲さんです。29日、中国のテレビ番組を見ながら、あるニュースの放送を待っていました。

「国交正常化のニュースはやってないね。今はやっていない」
高橋さんは戦時中、日本の占領下にあった中国東北部・旧満州に家族が渡り、終戦間際の混乱で中国に取り残された、いわゆる「中国残留孤児」です。

残留孤児たちが帰国するきっかけともなった日中国交正常化から50年。高橋さんにとって、9月29日は忘れられない日だといいます。
(高橋さん・妻)「きょうは記念の日。日中友好が永遠に持続してほしい」

50年前の9月29日。当時の田中角栄首相と中国の周恩来首相が北京で共同声明に調印し、国交を樹立しました。
これによって残留孤児たちの身元調査や帰国が進み、高橋さんも1991年に永住帰国を果たしました。
(高橋さん)「周恩来首相と田中角栄首相が調印した時、祖国・日本に帰れるんだと思った」
中国東北部・黒龍江省の哈爾浜市で生まれた高橋さん。物心ついた時には中国人の養父母に育てられ、自分が日本人だとは知らなかったといいます。
(高橋さん)「養父母は私に対し、とても優しかった。ほしいものは何でも与えてくれた」
Q.我が子のように?
(高橋さん)「そうそう」「養父母は子どもがいなかったから」
真実知ったのは20歳すぎ 「突然過ぎて胸苦しい」
日本人であることを知らされたのは20歳を過ぎたころでした。
