当時の京都は、一橋家、会津藩、桑名藩の3者が政局の中心にいて反幕府勢力への対応を評議していましたが、「龍馬の捕縛は、積極的に兵を出すほどの緊急事態にあたらなかったのではないか」ということです。

◆高知県立坂本龍馬記念館 上村香乃 学芸員
「池田屋事件の時は『きょう・あす』を争う話で、『天皇を連れ出す』とか『守護職の松平容保を暗殺する』とか『御所に火を放つ』とか、そういうレベルの話だったので⋯。『薩長同盟が結ばれたかもしれない』っていうのとは、状況が違いすぎるんですよね」

さらに、大きなブレーキとなったのが「薩摩藩」の存在です。幕府が坂本龍馬を無理に捕まえようとすれば、坂本龍馬をかくまっている薩摩藩、さらには長州藩や土佐藩をも敵に回すリスクがありました。

伏見奉行所が桑名藩へ宛てた「報告書」には、「薩摩藩邸に押し込んで龍馬を捕らえるのは、我々の手勢では難しい」と、弱気さが伝わる記述がありました。

◆高知県立坂本龍馬記念館 上村香乃 学芸員
「薩摩と一戦を交えるわけじゃないですか、そのリスクをとってまで、急いで龍馬を捕まえる必要はなった。“危険視”はしていたとしても