チームを率いた重沢和史監督

そんなチームを率いていたのは、重沢和史監督。2002年夏、チーム史上初の4強入りを果たした闘将は、準決勝敗退後、甲子園のインタビュー通路で、こんな言葉を残し、甲子園を後にした。
「2週間あまり、甲子園で選手たちとともに戦うことができて、本当に幸せな2週間あまりでした」
こうして2002年の夏、一躍全国区に躍り出た川之江。愛媛大会で1997年から3連覇している「宇和島東」や2000年の「丹原」、前年の2001年夏に4強入りしている「松山商業」や翌2003年の代表「今治西」といった、当時の「県立強豪校」の一角を占めるようになった。
その後は残念ながら、再び甲子園に戻ることはなかったが、夏の愛媛大会では、04年「8強」、05年「8強」、06年「4強」、07年「4強」と結果を残し続けた。
果たして、その安定したチーム力はどう育まれたのか―。