ノーベル平和賞を授賞した「日本被団協」のメンバーの1人、松浦秀人さん。被爆80年となる今年、活動に臨む思いを聞きました。
「青白い光線が光って…」母親の胎内で被爆

愛媛県松山市在住で「日本被団協」の四国地区代表理事を務める、松浦秀人さん、79歳。松浦さんは、誕生およそ3か月前の1945年8月6日、広島の爆心地近くの自宅にいた母・ユキコさんのお腹の中で被爆しました。
松浦さん
「母は当時、食料不足だったのでトマトか何かを植えていて、添え木をしていた瞬間に原爆の投下に遭ったようです。青白い光線が光って、ちょっとしてから地鳴りというが爆音というか、ドーンと」
ユキコさんは、飛び散ったガラスで全身に切り傷を負ったものの命に別状なく、数日後には故郷の愛媛に。その後、松浦さんは父方の祖父が暮らす西条市で生まれ、幸い後遺症もなく成長。結婚して3人の子どもにも恵まれました。しかし…
松浦さん
「いろんな健康上の不安が子どもに訪れるのではないかと思って躊躇しました。子どもが3人いて、健常なんですけど、第1子が生まれるときは本当に不安でしたね。『どんな子どもが生まれるのか』と」