福島さんの自宅には、興居島沖に止め置かれた潜水艦を撮影した写真も残されていました。
(福島さん)
「これ見て。これ。潜水艦。慰霊碑がある沖」

当時、職場の同僚数人と、潜水艦の目の前まで船で乗り付け、その迫力に圧倒されたと振り返ります。
(福島さん)
「見た時はびっくりした。うわーこんな大きなものが、よく上がったものだなと思った」

長く続いた戦争の傷が、ようやく癒えようとしていた71年前の7月。
松山市の小さな島に、まるで亡霊のように現れた旧日本海軍の巨大な潜水艦。
その姿は、島に暮らす多くの人たちの記憶に、深く刻み込まれました。

しかし時の流れは、それをも風化させようとしています。
(福島さん)
「もう知っている人はいない。60年も70年も前のこと」
(地元の女性)
「6月13日は慰霊碑を参るというだけで…。うちらの子が、慰霊式をしなくなったら、もう無くなる」

この夏、終戦から79年を迎えます。
当時を知る人たちの声を聞くことが難しくなる中、その記憶を失うことなく、いかに次の世代へと語り継いでいくのか。
穏やかな伊予灘を見つめて立つ石碑が、今を生きる我々に問いかけます。
◇ ◇
※記者が「伊号第三十三潜水艦」について知ったのは高校生の時、小説家・吉村昭氏の著書「総員起シ」を読んだことがきっかけでした。沈没から9年を経て引き揚げられた潜水艦の一部区画は浸水を免れ、事故発生直後の状況そのままに発見されたという衝撃的な内容の作品でした。
それから20年以上が経ち、愛媛に転居した私は、不思議な縁のようなものを感じて、この取材に当たりました。貴重な資料などご提供頂きました皆様に感謝申し上げます。