「里親さんと一緒に暮らしていたとき、兄弟のように思っていたから最初、好きだと言われたときは本当に驚いた」という米田さん。

容平さんは、「僕とさっちゃんだけ、30年会ってなかった。再会したときに、勝手に運命的なものを感じた。結婚して、今こうしていられるのはおじいちゃんのおかげだなと思っている」と優しく応じます。

米田さんは、当時容平さんが働いていた札幌に移住。
米田さんがたどり着いた、温かな居場所です。

私が取材を始めたとき、米田さんは里子経験者として、里親などに向けた講演活動を始めたばかりでした。里親との出会いや存在についてこう話します。

「里親さんがいなければ、今の私はないと思っている。育ててくれて、出会ってくれて、本当に心から私のことを思ってくれてありがとうございます。それを私が、今度はお返ししていくから、見ていてほしいって、応援してほしいって伝えたい。里親さんが愛情をもって育ててくれたから、親子関係が異常だと気づき、身を守ることもできたし、もし最初から母親に育てられていたら、それが問題だとは気づけなかったかもしれない」

里親との写真を振り返る米田さんと容平さん

里親と過ごした日々は、その後の人生を生きる支えにもなっているといいます。

「里親さんが愛情を持って育ててくださったからこそ、つらいことがあっても、がんばろうと思えた」

「自分を苦しめるのは人だけど、助けてくれるのも人」

米田さんは同じような境遇の子どもたちに、こう声をかけたいと話します。

「まず、悲しいよね、苦しいよね。わかるよ。でも、それを乗り越えた先には、乗り越えた人しか与えられないギフトがある。今は、そういう時期だから、それを乗り越えたら、もっともっと大きな幸せがあるから、大丈夫って言ってあげたい」

「私は決して自分が主人公になりたいんじゃなくて、自分の体験を話すことで、誰かを勇気づけることや、そのきっかけづくりにしたい」

取材した私自身も、米田さんの言葉から勇気や元気をもらった1人です。当時、私も職場や仕事での人間関係などに悩み、心身ともに苦しい思いをしていました。

私は米田さんに、感謝を伝えました。

「米田さんに出会って、仕事への考えや人との関わりの考えが変わりました。仕事で失敗したら、すぐに自分を責め、落ち込む自分や弱い自分が嫌いでした。やらなきゃいけない仕事をおろそかにしているように見える同僚も許すことができませんでした。でも、米田さんが『自分を大切にできない人は、他人も大切にできない。そして、自分の正義感を他人に押し付けてはいけない』と言ってくれたことで、自分の考えを変えなきゃいけないと思うようになりました。今、私がこうして前を向けるのは、米田さんのおかげです」

米田さんは、「講演活動を始めて、そう言ってくれたのは、宮下さんが初めてです。自分の活動や思いが実際に届いた人がいてよかったです」と話してくれました。

米田さんからそう言われたとき、自然と涙があふれ出ました。そんな私に米田さんは優しく手を握り、「大丈夫」、そう何度も言ってくれました。

米田さんと宮下記者

「自分を苦しめるのは人だけど、助けてくれるのも人だから、人と関わりたくないって思っても、結局関わるんだよね」