たとえば、ある日突然、事故にあったら。けがをして体の自由がきかなくなり、仕事も失い、お金に困るかもしれない。
そう考えると、いま取材をして目の前にいる人は、「わたし」と切り離すことができない存在で、彼らが直面している問題は、彼らだけに関係がある特殊なものではない気がしてくるのです。
それは、ちかちゃんときみさんに会うときも同じでした。
これまで異性だけを好きになってきた人も、突然、同性を好きになるかもしれない。誰だって、ちかさんときみちゃんが向き合う壁に、いつ自分が突き当たるかは、本当のところわからないのです。

小さく会釈をしてお店をあとにする2人の後ろ姿は、とても素敵で、心がトクトクしたのをいまも覚えています。そこにわたしは、性別がどうとかに関係のない、あたたかい何かを感じました。
結婚を選んだ僕たち。「ふうふ」だけど「夫婦」じゃない
それから1年後の、2021年9月。まだ夏の蒸し暑さが残る札幌の地下街で、2人と待ち合わせしました。
この日は、2人が待ちに待った、結婚指輪の受け取りです。

久しぶりに会ったきみちゃんは、緊張しているのか、言葉少なげ。でも、指輪をはめると、手を何度も裏返しながら、うれしそうに、ちかさんに笑顔を見せていました。
2人は6月に、「結婚」をするという選択をしていました。

現在、日本では、同性どうしで結婚することはできません。でも2人は戸籍上、「男性」と「女性」であるため、法律上の「結婚」をすることができました。

きみちゃんは、からだを男性に近づけるホルモン治療を受けていたため、声が低めです。
実はちかさんと交際を始めるまで、外国で性別適合手術を受けることを決めていました。いまの日本の法律では、戸籍の性別を変えるためには、卵巣など生殖腺をとる必要があるためです。
しかしちかさんから、「自分たちの子どもをもつ」という将来の可能性について話を受けたきみちゃんは、からだを女性のままにすることを決めました。きみちゃんは、「子どもが好き。残せるものが無くなってしまうのは、自分の中でも違和感があった」と話しています。

2人の家は、札幌中心部から車で1時間ほどの、千歳市にあります。
この日のお昼ご飯は、ちかさんが大好きなオムライス。料理が得意なきみちゃんが台所に立ち、家事が得意ではないちかさんはソファで完成をじっと待ちます。
2人が大切にしている時間を、きみちゃんは「ごはんを食べる時間」と答えていました。なるべくバラバラにごはんを食べることはないよう、心がけています。
「ふうふ」としての日常があり、法律上も、「夫婦」となった2人。

ちかさんは「結婚しても2人は変わらない」と話す一方で、実際に「ふうふ」として生活を始めてみると、息苦しさを感じる場面があります。「結婚していたら 『奥さんと旦那さん』 と見られるから、大変かなと思う」と、話していました。
では、なぜ「結婚」を決めたのか。もし日本で同性婚が認められていたら、今のように「男性と女性」として結婚したか、それとも「男性どうし」として結婚したか、尋ねました。