――映画監督になろうと思ったのはいつですか?
三宅監督:職業として監督になろうとは明確に思った記憶はなくて、中学3年生の時に学校祭で短編映画を作って、それが体験としてめちゃくちゃ面白かったんですね。自分の好きなもの、物語とか音楽とか体を動かすことまで含めて、「全部詰まってるな、これは楽しい」と。

もう一度やりたいっていうので、東京に行って「とにかく映画を作りたい」、あの楽しかった時間をもう一度過ごしたいっていうのがベースでした。ただ、職業としては、映画監督って謎の職業すぎてなり方もよくわからないし、実力だけじゃなく運も必要そうだし、あまり真剣に考えてなくて、ただただあの楽しい時間を過ごしたいと思っていた感じですかね。

――大学時代も撮影を?
三宅監督:映画研究会に入ってちょこちょこはやってましたけど、映画を見る時間の方がはるかに多かった。とにかく、ほぼ毎日、週5ぐらいで映画館に行って映画を見ていた記憶があります。大学3年生の秋、周囲が就活を始めるタイミングで、ダブルスクールの形で映画の専門学校に通いました。周りが就職していってしまうので、仲間が欲しいと。映画は1人で作れないので。それは結構大きい分岐点だった。ただ、その時点でも監督が仕事になるかはよく分かりませんでした。

―――就職という、いわゆる”普通”の道を選ばず、別な世界に進むことに不安はありませんでしたか?
三宅監督:たぶん、真面目に人生について考えていたら怖くてできなかったような気もするんですけど、本当に後先考えていなかったなと自分の場合は思います。すごく鈍感だったと思うし、甘えてもいたし、働くことからどこか逃げていた部分もあるのかなと思うんですけど、それを超えて、よく言えば「とにかく映画作りたい」「納得するものをやってみたい」っていうのが一番自分のモチベーションでしたね。それは今も、仕事として撮れるようになっても変わらず、「次もっときっと面白いのが撮れるんじゃないか」とか「次、こんなことやってみたい」っていうようなものが続いているので、それは学生の頃から変わりません。