■郷土史研究家の推察…ある書籍に合わせて「ちょう」にしたのでは
・郷土史研究家 有馬尚経さん「調べたところ、札幌市教育委員会が書いた札幌地名考には、まだルビを振る前から『すいしゃちょう』と書いてあるので、これを参考にして水車町(ちょう)にしたのではないかと」
地名が決定される2年前の1977年、札幌市の教育委員会は、地名を紹介する書籍「札幌地名考(さっぽろちめいこう)」を出版。
この書籍を見ると、なんと「水車ちょう」と記されているではないか。
有馬さんは、この書籍に合わせて「水車ちょう」と、名前を決めたのではないかと推測する。
・郷土史研究家 有馬尚経さん「もう既に書いたものがあるので、じゃあ水車町(ちょう)ですね、という判断なのかなと」
では、その書籍は、なぜ「すいしゃちょう」と記したのか?
・札幌建築鑑賞会 杉浦正人代表「札幌市として新しく呼び方を付ける時は、『ちょう』と読ませることが比較的一般的だった」
これまで「東区に北29条がない理由」や「北18条には西1丁目がない!」などを解説。
札幌の地理と歴史に詳しい、杉浦代表は、こう推察する。
■札幌の地理と歴史に詳しい専門家「ほかの町名に引きずられた可能性」
・札幌建築鑑賞会 杉浦正人代表「明確に裏付ける物を持っているわけではないが、札幌市の中の町名で、多いのは『ちょう』と読ませる地名・町名が多い。そういう面で、水車町(ちょう)と決められた時に、ほかの町名に引きずられた可能性がある」
実際に、札幌市の地名では、「ちょう」と読む例が多い。
例えば栄町や旭町など、「まち」と読む地名が14か所なのに対し、麻生町や屯田町など、「ちょう」と読む地名は24か所にも及ぶ。
北海道の自治体の「町」を見ても、128が「ちょう」と読み、森町だけが「まち」と読む。
・札幌建築鑑賞会 杉浦正人代表「これは私の想像なんですけど、北海道は明治になる前から幕府が主導で町作りや政治が進められていた色合いが強い。その時に、幕府からのお達しで『町(ちょう)』と付けるという素地があったのでは」
では、この混乱を札幌市はどうするつもりなのか?
・調査員「今後の展開は?」
・札幌市住民情報課 下澗聡課長「具体的には現地で、マンション名がどういった表記になっているか?など調査を行い、有識者や学識経験者からの意見をもらい、秋くらいの議会への提出を予定したいと考えている」