■亀裂から友好へつなぐ人たち
遠く離れた沖縄の真栄平とアイヌ民族を結ぶ「南北之塔」。
しかし、1981年にある書籍が「南北之塔」は弟子さんが中心に建てたと記し、塔は「アイヌ民族の墓」だという誤った知識が広がったといいます。
沖縄国際大学(歴史学) 藤波潔 教授
「放置されている亡くなった人の遺骨を あまりにもかわいそうという気持ちから、誰かを確認するすべがないままに1つの場所に集めて埋葬するという動きだった。「南北之塔」は北海道出身兵士、ましてやアイヌ兵だけの慰霊碑では無い」

大城藤六(おおしろ・とうろく)さん(94)
「やけど…破片が飛んできて」
自身も14歳で沖縄戦を経験し、その後、県の職員として地元史をまとめていた大城藤六さんは、すぐに関係機関に記事の訂正を求めました。

大城藤六さん(94)
「『南北之塔が泣いている』と、どこかに書いた。もう「南北之塔」は沖縄のものとは思われていないよ…と」
当時を知らない世代も増え、行き違いは解消されていったという大城さん。
塔を、全ての遺族のための慰霊碑にしたいと話します。
大城藤六さん(94)
「本当に北海道の人にも喜んでもらえるような塔にしたい」

アイヌ民族にルーツを持つ親子が沖縄にいます。
釧路市出身のアイヌで、20代の頃から沖縄に暮らす玉城美優亀(たましろ・みゆき)さんと、その長男で、那覇出身の寿明(ひろあき)さん。
2人は「南北之塔」を通じた双方の絆を強める活動をしています。
沖縄在住のアイヌ民族玉城美優亀さん
「本当ここだけですよね、アイヌと北海道が関わっているのは沖縄では」
美優亀さんは幼少の頃からアイヌに対する差別を見聞きしてきました。
過去に学校で琉球語の使用が禁じられるなど、独自の文化が奪われていった沖縄の構図がアイヌ民族と重なります。
沖縄在住のアイヌ民族、玉城美優亀さん
「差別や偏見をどうやったら取り除けるのか、平和になるためにはどうしたらいいのかって、本当に考えさせられる…ここ(南北之塔)が原点なのかな」

那覇在住 玉城寿明さん
「沖縄の人たちも基地に対していろいろ思っている人がいるとは思う。でももう基地があって生まれてきた世代が増えている。それが当たり前になっているのでバージョン2.0じゃないけど、新しいこの世代でやっていくことが大事」
沖縄戦の記憶と、未来への平和の祈りが、今、距離と世代を超えて引き継がれようとしています。