「小さな石ころでしかない」言葉がわからない中スロバキアへ武者修行
そして、高校卒業とともに単身スロバキアへ武者修行ということなんですよね。この時の気持ちはどうでしたか?
(カヌー・羽根田卓也選手)
「高校3年間で世界で活躍したいという思いが強くて、3年間自分の学業以外の時間は全てトレーニングに費やしたというほどの自負があって、本当に一生懸命世界で活躍しようと思っていたので、その3年間で何に気づいたかっていうと“このまま日本にいたら、グローバルでは勝てない”ということに気づいて、これは海外に行きたいというよりは、この日本にいちゃいけないという危機感がすごく強くなってこれは行くしかないと思って」
スロバキアの言葉はどうでしたか?
(カヌー・羽根田卓也選手)
「スロバキアの言葉は全くわからなかったですね。でもそれってその目標達成をする上で本当に小さな石ころでしかなかったので、『じゃあ語学を覚えればいいじゃん』というマインドだったので、それは全然海外に行くということを阻む理由の一つには全くならなかったですね」
『小さな石ころでしかない』ちょっと名言ですね。今から始めようと思っている方は背中を押されたと思います。

そして、2008年は北京オリンピックで予選14位。2012年が2度目のロンドンオリンピックで7位入賞です。そして、ついに2016年のリオオリンピックでアジア人初の銅メダルだったんですよね。
この時は『もうこれいけるんじゃないか』という手応えがあったんじゃないですか?
(カヌー・羽根田卓也選手)
「確かにこのシーズンは非常に調子が良くて、ワールドカップでも表彰台に上ったんですけど、本当にオリンピックって何が起こるかわからない舞台で、特にこの競技は誰が勝つかというのはもう予想がつかない。これだけ不確定な要素がたくさんある激しい競技ですので。ただ力を出し切れば『もしかしたら』という気持ちは確かにありました」
カヌーは世界の15人は、どの順番になってもわからないぐらい拮抗してると言いますけれども、この時に銅メダルをとれた最大の理由は何だったんでしょうか?
(カヌー・羽根田卓也選手)
「一つは自分にとって3大会目のオリンピックということで、非常にオリンピックの大舞台でもリラックスして臨めたというのが、他の選手からのアドバンテージであったかなと思いますね」

これで人生は変わりましたか?
(カヌー・羽根田卓也選手)
「変わりましたね。自分だけの人生ではなくて、このメダルをきっかけに日本中の方々にカヌーという競技を知っていただくことができましたし、次の東京オリンピックに向けても非常に大きな盛り上がりを作れたので、忘れられないオリンピックです」