当時とほとんど変わらない“トンネル”

阪鶴鉄道は明治40年、私鉄から国鉄になり、JR福知山線の一部として長年運行しましたが、昭和61年に廃止に。

しかし平成28年、宝塚市武田尾から西宮市生瀬(なまぜ)までの4.7kmの区間が開放され、現在は遊歩道として使われています。

この遊歩道には当時とほとんど変わらない姿をしたトンネルが6つあり、石とレンガが混在する「長尾山第三トンネル」や、武庫川を渡る「第二武庫川橋梁」などが見られます。

明治20年、宝塚温泉が開場し、温泉街としての歴史がスタートした宝塚市。当時は交通の不便さから入浴客はとても少なかったそうですが、10年後の明治30年、阪鶴鉄道の開業で宝塚駅が誕生し、観光客は大幅に増加。人気の温泉地とともに、街はどんどん発展していきました。

そんな宝塚市の発展に一役買った阪鶴鉄道の廃線跡は現在、誰でも歩ける遊歩道として地元の人たちから愛されています。