この場所から船を使って移動していた?

今から340年ほど前の江戸時代、新田開発に力を注いでいた岡山藩主の池田光政が両岸の干拓に着手。

陸地ができたあと、海水の逆流を防ぐためにここに水門を建設し、その際に土地を造り、管理する人間が住むことになったそう。

今ある水門は昭和に造りかえられたもので、現在は岡山県が管理して住民の生活を守っています。

この集落に一番古くから住んでおり、水門を管理してきたという方の話によると、水運が盛んだった明治時代まではこの場所から船を使って移動したり物を運んでいたそう。その後、車社会が発展していき、集落を抜ける道も昭和40年代に拡幅工事が行われ、今の広さになったとのことです。

2024年10月15日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より