最高気温42℃、道路にサボテン、そこにいたのはレジェンド
そんな“ミスター社会人野球”を追いかけ、私はアメリカに渡った。それも一人で。10月上旬 羽田空港を出発し、ひとまず到着したのがダニエル・K・イノウエ国際空港。「誰…?」と思ったが、ハワイ・ホノルルにある空港だった。私はここで乗り継ぎをしてアリゾナ州へ向かう。乗り継ぎは人生初体験だった。

「乗り継ぎは“transit”もしくは“transfer”と書いてある方に行けばいい」と海外経験豊富な先輩達から教わっていたが、これがどこにも見当たらない。いや、書いてあったのかもしれないが、どうやら見落としたようだ。
とりあえず入国審査と荷物のピックアップは無事に済ませ、その後は人の流れに身を任せながら歩みを進めると、気が付いたら外に出ていた。「私って税関通りましたっけ?」スマホの翻訳機能と、日曜夜の番組でおなじみのお笑いタレントさん並みの“ジェスチャーを駆使した二刀流”で、近くにいた“空港職員っぽい方”に尋ねた。見た目は完全に外国の方だ。
「大丈夫だよ、ターミナル1へ行きなさい」
返ってきたのはまさかの日本語だった。
こうしてたどり着いたアリゾナ州のフェニックス・スカイハーバー国際空港。取材初日、最高気温は42℃、道路の脇にはサボテン。しかし、湿度は一桁と聞いた。日本ほど厳しい暑さとは感じなかったが、唇が乾いて仕方がない。リップクリームを持ってくればよかったと後悔した。

向かったのは佐竹さんがいるサプライズ・スタジアム。テキサス・レンジャーズなどがキャンプで使用する球場だ。現役引退後、コーチングなどを学ぶため、ことし9月からレンジャーズのもとを訪れていたのだ。
佐竹さんはとにかく優しかった。私が小さなカメラを片手に、一人でアメリカに来たことに驚きを隠せない様子で、アメリカ滞在期間中は昼食の手配から取材先への送迎までしてくれた。取材する側がここまでお世話になるのは申し訳ない。その気持ちを本人に打ち明けると「甘えてください」と言ってくれた。

私と佐竹さんの歳の差は14。親子とまではいかないが、これだけ歳が離れた取材対象者は初めて。アリゾナの乾いた空の下で、父親に似た親しみを覚えた。