1994年4月26日。今の県営名古屋空港で、中華航空機が墜落し、264人が犠牲になりました…あれから30年。遺族の『今』を取材しました。

夫を亡くして、30年。

「開けてみると、いまだに臭うね」

焼け焦げた「カバン」や「ワイシャツ」…そして、「中国語の本」。

「いない年数の方が(一緒にいた時より)長いので、受け止めてきたというか、日常がそちらの方に重きを置いてきた」

30年前の1994年4月26日、現在の県営名古屋空港で、機長の操縦ミスにより、台北発名古屋行の中華航空140便が墜落。264人の命が失われ、日本の航空事故史上に残る大惨事となりました。

犠牲者の1人、高木育文(たかぎ いくふみ)さん、当時45歳。鋼材を扱う名古屋市の会社「タカギスチール」の社長で、台湾に商談に行った帰りでした。

妻の愛子さんは、今も仏壇に手を合わせる度に、「あの日」のことが浮かぶといいます。

(妻の高木愛子さん 72歳)
「飛行機が着いたか着かないかぐらいの時間に迎えに行きましたけど、救急車や消防車の音がすごくうるさく鳴っていた。(飛行機が)炎上しているのを私は見ていなくて。到着ロビーから動けずにいた」

3人の子どもを家に残し、空港へ。育文さんは「事故機には乗らなかったかもしれない」と、祈るような気持ちで、空港のロビーでテレビを観ていた愛子さん。

しかし…

(当時のニュース)
「現在わかっている、乗客の方のお名前をお伝えします…タカギイクフミさん」