「鳥取城渇え殺し」とも言われる、羽柴秀吉による鳥取城の兵糧攻め。多くの餓死者が出たとされますが、開城した後に助け出された人々の間でも、なぜか多くの死者が出たと言われています。その謎が明かされました。

1581年、羽柴秀吉が行った鳥取城の兵糧攻めは、実に3か月以上にもわたり、この間、多くの餓死者が出たとされています。
当時の城主、吉川経家は、城兵らの命と引き換えに切腹して、籠城は終わり開城されました。
安松裕一 記者
「鳥取城が落城した後、飢餓状態にあった人々に秀吉が振舞ったのが『おかゆ』です。しかし、このおかゆを食べた人たちが急死してしまったというのです」