鳥取城は戦国時代「渇え殺し(かつえごろし)」とも呼ばれる兵糧攻めで秀吉が攻めた因縁の城。鳥取にとってはいわば敵としての登場で、池松さんも、「ものを投げつけられるかと思った」とおどけて見せました。

池松壮亮さん
「(秀吉の時代は)生命をみんなたぎらせていた、いかに生き延びるか、生きるかということを日々みんな考えていたんじゃないかと思っています。(秀吉は)常に上を向いてまっすぐ駆け上がった、爽やかでおおらかで、そういう印象があります。」

鳥取城は堀にかかる擬宝珠橋に続いて正面玄関の表門、渡櫓門と江戸時代の姿への復元が進んでいて、この春完成した渡櫓門では、昔と同じ材料や工法で再現された本格的な城郭建築の内部が一般公開されました。

近くの神社からの神輿の登城、麒麟獅子舞の奉納、甲冑の体験などと江戸時代を彷彿とさせる仕掛けが沢山用意され、訪れた人たちはグルメも楽しみながら昔に思いを馳せていました。