「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる鳥取県境港市出身の漫画家、故・水木しげるさんが戦争を描いた代表作「総員玉砕せよ!」。その構想ノートが去年、遺品の中から発見されました。
ノートに記された、水木さんの「戦争」に対する強い思いとは。

水木しげるさんが戦争を描いた代表作「総員玉砕せよ!」。
1973年8月に発売された作品で、太平洋戦争に従軍した水木さんの実体験を基に、戦争の恐ろしさ、無意味さ、悲惨さを描いた戦争漫画です。
地元の書店の水木さんのコーナーには、7月に出版された、ある文庫本が並んでいます。
「総員玉砕せよ!新装完全版」。
水木さん生誕100周年の今年、発売されました。

新たに発売されたきっかけは、本の後半に掲載された「構想ノート」。
去年、水木さんの遺品から発見されました。
東京都調布市にある水木プロダクション。
「棺の中に入れました『総員玉砕せよ!』は。最後まで言っていたので、これは90%真実だって」
こう話すのは、水木しげるさんの長女、原口尚子さんです。
見せていただいた構想ノートには、エピソードのメモや、登場人物のイラストなどが書き留められていました。

水木さんの長女 原口尚子さん
「『総員玉砕せよ!』の漫画と比べながら、こういうことは描いてないとか、こういう思いがあったんだ、辛かっただろうな、って水木の気持ちを想像します」
ノートには、作中には描かれなかった作品への決意も記されていました。
構想ノートより
「人間の生き死にははかないものである。いまこの南海の孤島の一角、聖ジョージ岬で行われた殺りくの記録は、ここの石と木だけが知っている。いまここに書きとどめなければ誰も知らない間に葬り去られるであろう。」

また、タイトルに「小指」と書かれたエピソードのメモには…
構想ノートより
「兵は猫の指でも切るように小指をきる
誰も小指のなさけない気持ちは知らない
マッチ箱に入れて小指を渡す」

作品の中には、銃撃を受けた兵士の遺骨として持ち帰るために、まだ意識のある兵士の小指を、エンピと呼ばれるスコップで切り取るシーンが登場します。
ほぼ当時のままだという水木さんの書斎には、水木さんが書いた戦争に関する大量のメモが残されています。
水木さんは1943年、当時21歳で太平洋戦争の最前線、ニューブリテン島・ラバウルに出征。その翌年、爆撃により左腕を失いました。

水木さんの戦争の記録については、鳥取県境港市の、水木しげる記念館でも知ることができます。
記念館では今、漫画「戦争と日本」の複製原画が展示されています。

来館者は
「こんな漫画を描いている人だとは思いませんでした」
「実際に戦争を経験されている方で、やっぱりリアルですよね。」

水木さんの長女 原口尚子さん
「こんなに人を悪魔にしちゃうんだなって。正常な人間的な判断が一切できなくなってしまう、これが戦争なんだということですよね。
それが今、ウクライナで戦争あって、この時代に逆戻りしているじゃないですか。なんで21世紀にして逆戻りしているのかなって、悲しくなりますよね。水木もきっと生きていたら、バカだなって。バカだなって一言いうと思います」

水木さんの「戦争」への思いは、漫画を通して、次の世代へと受け継がれていきます。