太平洋戦争末期、青森市民は空襲で1000人以上が犠牲になりました。
この青森空襲にゆかりのある施設を地元の小学生が巡り、大きな被害を受けた時代背景などを学びました。
青森空襲を学んでいるのは、青森市立堤小学校の6年生です。
この日は、校外学習としてグループ毎に見学ルートを決めて、ゆかりのある施設を巡りました。
見学場所の1つ、蓮華寺。
その空襲の直後を捉えた写真があります。周りの建物が跡形もなく焼け落ちるなか、蓮華寺は当時としては異色の鉄筋コンクリート製だったことから被害を免れました。
こうした例は珍しく、青森空襲で市街地は約9割が焼失、1018人が犠牲になり、甚大な被害を受けました。
児童たちは、角田堯淳 住職から空襲を免れた本堂の設計図を見せてもらいながら、戦後には進駐したアメリカ軍が寺を使ったことも学びました。
蓮華寺 角田堯淳 住職
「先見の明で将来を考えて、燃えない寺をつくり助かった。それから80年。なんとか維持しています」
見学した児童は
「ここのお寺が100周年だってことに驚いたし、戦争にも耐えたというところがびっくりしました」
また、児童たちは、青森まちかど歴史の庵 奏海を訪れ、青森空襲ではなぜ1000人を超える犠牲者がでたのか、その背景を今村修さんから教わりました。
青森まちかど歴史の庵 奏海 今村修 庵主
「B29爆撃機63機が青森の上空に来た。火を消して街を守る責任があると法律で定められていた。避難すればだめだと言われて戻ってきた人が多く亡くなった」
児童
「写真と一緒に説明され、心にぐっとささりました。この戦争のことを教えて、どんどん後に残していければいいなと思います」
堤小学校の児童は、さらに戦争について理解を深めるために9月の修学旅行では、青森と同じ海運の拠点都市だった北海道函館市へ行き、青函で異なる時代背景などを学ぶ予定です。
【写真を見る】
※リンクから画像をご確認いただけます。












