「青森からアメリカ行って着いた日。うちの姉の彼氏に、“ともゆき”ってアメリカ人には発音できないから、お前はトムねって言われて、そっからトムって人生を歩み始めて…


(朝幸)の字画は20ぐらいあったのかな。そっから僕はトムだから4画の人生に変わったんです。」


アメリカの大学を卒業後、いろんな仕事を経験した。その中で広告制作の仕事が自分に合っている感じ。


「昔の広告ってのは本当に予算があって豊かだった。今段々厳しくはなっていますけど…いろんなとこに行って、いろんな人に会いました。」


特にアメリカで仲良くなったのが俳優の渡辺謙。それは、東日本大震災の後に一緒にチャリティー活動を行うほどだった。


「ちょうど(東日本大震災の)前の日、渡辺謙さんがウチでご飯食べてて、あす日本に帰るねって。彼が飛行機乗ってるときに地震があったんですよ。


謙さんがその後、気仙沼にKポートっていうカフェをオープンしたんです。自分で自前で全部作って。現地の人たちがいろんなイベントをして元気になるっていう箱をずっと今もやってらして、2015年に、尾崎亜美さんと小原礼さんと友達なので、謙さんに紹介して、僕もなぜかそこに呼んでいただき、Kポートで小さなライブをやって、何か一流の人たちってみんな優しいんですよね。

なんか少しずつまた昔の音楽に対する思いがふつふつと蘇ってきて、そんな活動をさせてもらってます。」


兄弟から影響を受けた音楽。
青森やいろんな場所で、今でも楽しんでいる


そして、工藤の誰に対しても対等に指導を受け入れる広い心や人間力が、
今の広告の仕事に繋がっている。

「行けるところに行ける自分で、それが自分の夢なんで。10年後20年後でも誰かを訪ねて旅をしていたい。
…いつも幸せだと思います。こないだ酸ヶ湯温泉でお風呂入ってても幸せだなと思いました」