女優・黒柳徹子さんが、終戦の直前から南部町へ1年半ほど疎開していました。その事実とともに平和の尊さを伝える記念ルームを開設することを南部町が発表しました。

こちらは、去年12月に黒柳徹子さんと南部町の工藤祐直町長は面会した時の写真です。この時に工藤町長が町役場の南部支所を改修し記念ルームを開設することの承諾を得たということです。

黒柳さんは1945年3月の東京大空襲のあと、当時12歳で南部町諏訪ノ平地区へ知人を頼って疎開しました。旧制三戸町立高等女学校に通い町で1年半ほど暮らしました。

5日は、黒柳さんのサインと一緒に工藤町長は会見を開き、展示ルームを通して黒柳さんの抱く平和への思いを後世に残したいと述べました。

※南部町 工藤祐直町長
「徹子さんご家族が困難な状況の中を、この南部町で町民のみなさまとともに生活してこられた記憶を風化させてはいけない。平和への願いを子どもたちや多くの若者たちに伝えたい」

黒柳徹子記念ルームには、黒柳さんのの疎開中の写真や、ユニセフ親善大使としての活動を展示し、2027年4月に開設する予定です。