角田貴仁さん
「代われるものなら代わりたい」
珠洲市大谷町の平屋建て住宅。角田貴仁さんは今年の正月、妻と息子とともにこの家に帰省しました。地震が起きたのは初詣を終え、金沢の自宅に戻ろうとしていたときのことでした。


地震により妻の裕美さんと小学3年生の息子・啓徳くんを失いました。
角田貴仁さん
「見た光景というのは、家のはりに2人、頭2つ並べて挟まれている状況。息子は頭を挟んで想像を絶する痛みの中で、壊れたこたつのテーブルを、精いっぱいものすごい音ですごい力でたたいて教えてくれたわけです。人のことを心配するような子でしたから、多分自分の母親が大変なことになっているのを見てなんとかせえと」

大きな屋根の梁につぶされたこたつの下敷きになっていた2人。音を立てない裕美さんと、顔を挟まれていて会話はできないものの叫び声を上げる啓徳くんがいました。地震から1時間半が経ち、貴仁さんは自力で2人を助け出しましたが、2人はもう冷たくなっていたといいます。
角田貴仁さん
「数時間前まで普通に、一緒にいた人ですよ。それが動かなくなって毛布とブルーシートにくるまれてそこに転がされている。なんのことかわからないですよね。すごく居心地の良い時間でしたよ(妻・裕美さんと)2人の時間は。大体お互い何考えているかなんてわかっているんですよ。息子と妻、2人ともわたしのすべてですよ。家族がいたから頑張ってきたんだと思います。息子も心配性でしたし、妻も私の性格はわかっているので『大丈夫?』って、言ってくれていると思います。そのたびに大丈夫じゃないよって言っています。全然大丈夫じゃないよ」
地震からきょうで1か月。貴仁さんの時は止まったままです。
角田貴仁さん
「1か月たとうが1年たとうが、10年たとうが2人は戻ってこないんですから。きょうは単なる2月1日」

















