大規模な火災で200棟余りが焼失した観光名所・輪島朝市通り。今も安否不明の夫婦がいます。一人息子が胸の内を語りました。
清水宏紀さん
「父親がよく、これでお酒飲んでいました。よく残っていたなぁと思います」
焼け跡から見つかったグラスを拾い集める清水宏紀さん。輪島塗の蒔絵師、父・博章さん(73)と母・きくゑさん(75)が火事に巻き込まれました。
市外から帰省していた一人息子の宏紀さんが、1回目の大きな揺れで足の悪い両親を避難させようと車を用意していた矢先に、さらに激しい揺れが。地震発生から30分余り、潰れた1階には両親が取り残されたままに。間もなく、辺りは激しい炎に包まれました。
清水宏紀さん
「消防もここ通って行った。呼び止めて『(両親が)埋まっているんだ』と伝えたが、その時には火の手が上がっていて、それを消しにいくのが優先と言われて…」
その後の捜索で、家があった場所から身元の分からない遺体の一部が見つかりました。
清水宏紀さん
「身元の確認が終わるまで、引き取りはできない。待っている間にできることは、遺品というか、何か残っているものを探せられれば」
残っていたのは茶碗などの陶器ばかり、写真は一枚もありませんでした。
清水宏紀さん
「親が写っていた写真を持っていない。遺影の写真も探している状態」
きのう、清水さんは輪島蒔絵業組合の新出昭宏さんのもとを訪ねました。
新出昭宏 組合長
「ここ、この方?」
清水宏紀さん
「そうです、そうです。間違いないです」
36年前に発行された記念誌には、父の姿が確かにありました。
輪島蒔絵業組合 新出昭宏 組合長
「江戸っ子的な親分肌みたいなところもあって、若い子の面倒はよく見てくれた」
清水宏紀さん
「なんとなく若い時って、案外、今の自分に似てるかなと。懐かしいという感じがする、特に若い時なので」
きくゑさんの写真もきょう見つかりましたが、2人の名前は今も安否不明者リストに入ったままです。
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