「本当に無念だったろう」

<支援者団体の事務局長・山崎俊樹さん>
1月7日に私は西嶋先生にメールを送った。午後8時半ぐらいかな。そしたら息子さんからメールが入っていまして、気づくのが翌日の1月8日の朝でした。小川先生から電話がかかってきて朝6時ぐらいに「西嶋先生が倒れた」と。それで、すぐ息子さんに連絡したら「いま、病院にいる」と。正式にお亡くなりになられたのは、1月7日午後11時17分。心肺蘇生の措置を病院でやってもらったら一旦は心臓が動き出したということでした。ただ、長い間止まっていたので弁護活動は無理だろうと病院から言われたとおっしゃっていました。その後、再び心臓が停止して1月7日午後11時17分が死亡の日時になります。ご遺体は1月8日午前中まで病院に安置されて、ご自宅に帰ってこられたので、その日のうちに私と小川先生と2人でご自宅まで訪問しました。私も何と言っていいか分からない状態でした。

西嶋先生は体調が悪い中でも再審公判に来られていまして、だいたい前の日に来られて、公判が終わった日はもう1泊されて朝帰られるという生活を過去5回行われていたわけですね。ですので、本人は本当に無念だったろうなと思います。再審無罪の声を聞かせてあげられなかったのは残念でなりません。
息子さんも「弁護団は再審公判に注力してください」というメッセージをいただいておりましたので、きょう(葬儀に)参列して、家族と親戚、縁の深い人だけのささやかな式でしたけれど、西嶋先生の姿を見てきて、あらためて、もうちょっと早く再審無罪の声を聞かせてあげたかったと思います。