慰霊の花火「白菊」の生みの親で、長岡花火の発展に貢献した花火師・嘉瀬誠次さんが14日に亡くなりました。101歳でした。

嘉瀬誠次さんは1951年に戦後初めて「三尺玉」の打ち上げを成功させ、長生橋を生かした「ナイアガラ」を提案するなど、長岡花火の発展に貢献したとして、2016年に長岡市民大賞を受賞しました。

また、第二次世界大戦後に旧ソ連によるシベリア抑留を経験し多くの仲間を失った嘉瀬さんは、長岡空襲の犠牲者を慰霊する花火「白菊」を生み出しました。
生前、嘉瀬さんは花火を通して平和の大切さを訴え続けてきました。

嘉瀬誠次さん(2012年取材)
「空見て、パカーンと口を開けてさ。あーきれいだなという瞬間、それが貴重な瞬間だね。人間、その気持ちになっていれば争いごとも起きない」

家族によりますと、嘉瀬さんは14日午前2時過ぎ、老衰で亡くなったということです。101歳でした。長岡市の磯田達伸市長は「嘉瀬さんの思いを引き継ぎ、これからも長岡花火のさらなる発展に努めていきたい」とコメントしています。