太平洋戦争の開戦から8日で82年です。
旧日本海軍が長野市に堀ったとされる地下壕の全体像が、明らかになってきました。


長野市安茂里小市(あもりこいち)にある大本営海軍部壕。

太平洋戦争の末期、国の中枢の移転計画にあわせて、海軍が建設を目指した地下壕で、本格的な工事を前に終戦となりました。

地元住民などで作るグループでは、これまで、地下壕の規模や、海軍が中枢を構えようとした場所などを探ってきました。

調査のもととなったのが、2022年に見つかった、設営部隊の山本将雄(やまもと・まさお)隊長が戦後に残した書簡です。

第300設営隊 山本将雄隊長の書簡の一部:
「工事に着工した場所 白土地帯(はくどちたい)を予定」

グループではこの1年、専門家などを交えて周辺の現地調査などを重ねて実施。

その結果、これまで最大80メートル余りのY字型とされていた地下壕が、さらにおよそ250メートル北東の「犀沢(さいざわ)」まで掘られていたとみられることがわかり、7日に発表しました。

昭和の安茂里を語り継ぐ会共同代表 岡村元一さん:
「250メートルほど来ると大体この辺に出るという想像」

周辺に広がっているのが、山本隊長が書簡に記し、凝灰岩の岩山が広がる「白土地帯」です。

グループでは、防御性が高い点や、資材を置く広い場所があることなどから、海軍が、この一帯の地下に中枢を構えようとした可能性があるとみています。

昭和の安茂里を語り継ぐ会 土屋光男事務局長:
「海軍の軍令部の入る予定の穴が、ここに掘られようとしていたことが初めて分かった」
「ここであることは間違いないのではないか」

周辺では、入り口が2メートル四方のトンネルを見たことがあると証言する地元住民もいて、グループでは引き続き実態の解明を目指すとしています。