核兵器禁止条約第二回締約国会議に合わせて、現地には広島や長崎の被爆者らが駆けつけました。ただ、その多くは幼い時に被爆し、当時の記憶がない人たちです。

「記憶のない被爆者」が伝えるのは「あのとき」ではなく「あれから」です。

広島県被団協 佐久間邦彦理事長
「私達にとって、核兵器禁止条約は希望の光です。被爆者の願いは、被害の補償、救済だけでなく、核兵器が地球上からなくなることです」

広島県被団協の佐久間邦彦理事長です。締約国会議に合わせて開催された、関連行事や街頭集会で、幼い頃の体験を話しました。

広島県被団協 佐久間邦彦理事長
「私は、遠距離被ばくなので、被爆の影響は受けていないと思っていました。ところが、肝臓と腎臓を患い、身体がだるく、食欲がなく、このまま死ぬのではないかと思いました…」

爆心地から約3kmの広島市西区己斐で生まれ育った佐久間さん。被爆当時は9ヶ月の赤ちゃんで、縁側に寝かされていたそうです。