◆「全てが嫌に」なってしまうまでの道のり

この時点で、彼女はもう中絶できないことをわかっていて、「赤ちゃんが生まれる」ことを覚悟していました。受付では、前回同様保険証を提出し、問診表に名前を記入します。そしてスマホのアプリを使って「赤ちゃんが元気かどうかを診て欲しい」と伝えましたが、再び「一緒に通訳人を連れてこないといけない」と言われたそうです。

(弁護人)Q そう言われてどうしたんですか?
(被告人)A 帰りました。
(弁護人)Q 他の病院に行こうとは思わなかったんですか?
(被告人)A 仮に行ったとしても、私は日本語がわからないからどうせ受診はできないだろうと思いました。
(弁護人)Q もし診てもらえていたら通院していたということですか?
(被告人)A 時々なら行けたと思う。

彼女は、家から病院までのおよそ8kmの道のりを歩きとタクシーで向かっていました。ベトナムでは出産にかかる費用は自己負担らしく、彼女は、日本では母子手帳を受け取れば妊婦健診が無料でできることや、出産後には出産育児一時金がもらえることを知りませんでした。また、収入のほとんどをベトナムの家族に仕送りしているため、毎月の生活費は2万円前後でした。お金が心配だったそうです。

(弁護人)Q 妊娠を理由に病院に行くのは勇気のいること?
(被告人)A ハイ。
(弁護人)Q 2回とも断られてどんな思いになりましたか?
(被告人)A とても悲しかった。そして全てが嫌になってしまいました。


被告人質問の時でさえ、彼女は「どんな気持ちか?」と尋ねられた時しか自分の気持ちを言いませんでした。それだけに、この時の彼女の証言は強い印象を残しました。