大迫でも一筋縄ではいかなかった一発勝負
その大迫が初めて日本選手に敗れたのが前回のMGCだった。中村匠吾(富士通)がラスト3kmでスパートし、服部勇馬(トヨタ自動車)、大迫と3人の争いは熾烈を極めた。中村との優勝争いから後れた大迫は、ラスト300mで服部に抜かれて3位に終わった。
TBSが9月頭に行った取材に対し大迫は、4年前のMGCを次のように振り返った。
「選考レースで(終盤だけでなく)あれだけ長く競り合っていると不確定要素が増えてきます。その1つ1つに対処していくのは、他のマラソンと違った難しさがありました」
日本のレベルも、特に夏場のレースでは世界有数と言っていいし、現在多くの大会で当たり前になっているペースメーカーも付かない大会である。多くの選手が自身の競技人生を懸けて挑んでくる選考レースは、大迫をもってしても想定外のことがいくつも起きていたのだ。
しかし大迫の強さは半年後に発揮された。MGCファイナルチャレンジに出場しないで他の選手たちの結果を待っても、3枠目で代表に入る可能性は高かった。設定記録は大迫の日本記録(2時間05分50秒)を1秒上回るタイムで、当時の日本選手が破るのは難しいと思われていた。だが大迫は20年3月の東京マラソンに敢然と出場し、2時間05分29秒の日本記録で日本人1位を占め東京五輪代表3枠目を自力で掴んだ。
「自分を一番厳しいところに置く」
東京五輪の6位入賞で全ての力を出し尽くしたと感じた大迫は、21年9月に現役を引退した。しかし22年2月に現役復帰を表明し、6月の日体大長距離競技会5000mでレースに戻って来た。今年3月の東京マラソンは日本人3位。海外選手たちに最後まで挑戦する戦い方をしたこともあったが、前レースのニューヨークシティ・マラソンから4か月の間隔で出場したことも敗因の1つだった。
これもTBSの取材に対し、次のように話した。
「4か月のスパンは準備期間としては短く、出場するか迷いました。しかし短い期間で準備をすることも、自分が次のステージに上がるために必要な経験だと判断してチャレンジしました」
現役復帰時にはパリ五輪出場にこだわらないと話し、東京マラソン後もMGC出場を明言しなかった。メダルのような形にこだわることより強い選手たちに挑戦することが、大迫のより大きな目的になっている。
MGC出場を表明したのは7月の、ホクレンDistance Challenge網走大会で10000mを2本走った後だった。
「自分を一番厳しいところに置くことが、自分なりのモットーでもあるんです。もう1回、 自分を(MGCという)勝負の場に置いてみたかった。そこに向けてまた頑張っていきたいと思いました」
MGCがどういう意味を持つかをTBSの取材中に問われ「パリ五輪の選考会・・・それだけですね」と答えた。歯切れ良く答えなかったのは、自身の心情を説明するのが難しかったからだろう。
だがMGCを勝ち抜き、パリ五輪で少しでも上の順位を取る。それは日本代表としてメダルを目標に走るということになる。
大迫傑が全身全霊を懸けた戦いが、10月15日の朝、8時00分にスタートする。
■MGCとは?
マラソンの五輪代表は16年リオ五輪までは複数の選考会で3人の代表を選んできたが、条件の異なるレースの成績を比べるため異論が出ることも多かった。そこで東京五輪から、男女とも上位2選手は自動的に代表に決まるMGCが創設された。MGCに出場するためには所定の成績を出す必要があり、一発屋的な選手では代表になれない。選手強化にもつながる選考システムだ。
五輪代表3枠目はMGCファイナルチャレンジ(男子は12月の福岡国際、来年2月の大阪、3月の東京の3レース)で設定記録の2時間05分50秒以内のタイムを出した記録最上位選手が選ばれる。設定記録を破る選手が現れない場合は、MGCの3位選手が代表入りする。大半の選手は絶対に代表を決めるつもりでMGCを走るため、一発勝負の緊迫感に満ちたレース展開が期待できる。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)