ジャニー喜多川氏による性加害問題を受け午後2時から東京都内で行っている記者会見でジャニーズアイランドの井ノ原快彦社長は、ジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子前社長のコメントを読み上げました。

藤島ジュリー景子前社長 コメント全文

以下、全文

叔父・ジャニー喜多川により性被害に遭われた方々に、改めて心からお詫び申し上げます。5月2日に、被害に遭われた方と初めてお会いしました。その後もいろいろと実際にお話を伺う中で、この方々にどのように補償していくのがいいのか、加害者の親族としてやれることが何なのか、考え続けております。そしてジャニーズ事務所は名称を変えるだけではなく、廃業する方針を決めました。

これから私は、被害に遭われた方々への補償や心のケアに引き続き、しっかり対応させていただきます。叔父・ジャニー、母・メリーが作ったものを閉じていくことが、加害者の親族として私ができる償いなのだと思っております。私は4年前に母親であるメリーからジャニーズ事務所を相続いたしました。

ジャニーズ事務所はジャニーだけではなく、私の母であるメリーも権力を握っていたと思います。ジャニーはメリーからお小遣いをもらうという形でしたので、経営的なことは全てメリーが決めていたと思います。ジャニーと私は生まれてから一度も2人だけで食事をしたことがありません。会えば普通に話をしていましたが、深い話をする関係ではありませんでした。

ジャニーが裁判で負けたときも、メリーから『ジャニーは無実だからこちらから裁判を起こした。もしも有罪なら私達から騒ぎ立てるはずがない。本人も最後まで無実だと言い切っている。負けてしまったのは弁護士のせい』と聞かされておりました。当時、メリーの下で働いていた人たちも、同じような内容を聞かされていて、それを信じていたと思います。そんなはずはないだろうと思われるかもしれませんが、ジャニーがある種、天才的に魅力的であり、皆が洗脳されていたのかもしれません。私も含め、良い面を信じたかったと思います。

そして母・メリーは、私が従順なときはとても優しいのですが、私が少しでも彼女と違う意見を言うと、気が狂ったように怒り、叩き潰すようなことを平気でする人でした。20代のときから、私は時々過呼吸になり、倒れてしまうようになりました。当時、病名はなかったのですが、今ではパニック障害と診断されております。

私はそんなメリーからの命令で、ジャニーズ事務所の取締役にされておりましたが、事実上、私には経営に関する権限はありませんでした。そして2008年春から、新社屋が完成した2018年まで、一度もジャニーズ事務所のオフィスには足を踏み入れておりません。これは性加害とは全く違う話で、私が事務所の改革をしようとしたり、タレントや社員の環境を整えようとしたことなどで、2人を怒らせてしまったことが発端です。

ジャニーとも2008年ごろから2016年ごろまで、ライブ会場ですれ違うことはあっても、会話はしておりませんでした。その後、ジャニーの稽古場に呼び出されて、久しぶりに話しましたが、それ以降もジャニー本人に会ったのは数回です。その期間のJr.からのデビューや、管轄外のグループの解散のプロセスにも関わっておりません。

メリーからは私の娘である孫に会いたいと切望され、1年に数回一緒に食事をすることや、お正月には孫と旅行することを決められておりましたが、私自身はメリーと話をすることを極力避けて生きてきた人生でした。このような説明をすると嘘だとか、親子で仲が良かったのを見たことがあるなど、またバッシングされる記事が大量に流れるのだと思いますが、近い関係者の皆様、タレントの方々、社員などであれば、こうした事情を知っていると思います。

心療内科の先生に、メリーさんはライオンで、あなたはシマウマだからパニック障害を起こさないようにするには、この状態から逃げるしかないと言われ、自分で小さな会社を立ち上げ、そこに慕ってくれるグループが何組か集まり、メリー、ジャニーと全く関わることなく長年仕事をしておりました。