広島を離れる前日、マリアさんが去年の2月から通っていたスポーツジムの仲間が2人のお別れ会を開きました。

和田哲夫 さん
「いろんな話をさせてもらったけど、とてもフレンドリーで笑顔もすてきで、ほんわかするので、ジムのみんなが『マリア、マリア』と仲良くしていたと思います。元気をつけてあげようと思うよりもこっちが元気をもらっている感じで寂しいです」
姉妹はこれまでにも音楽会に招かれて2人で参加したことがあり、マリアさんのジムの仲間は姉のファジリャさんにとっても大切な人たちになりました。

マリアさん
「私たちが出会った人はみんな外交的で、私たちと友達になろうとしてくれて、友達のおかげで広島、日本での生活が大切な良いものになりました」
いま、ふたりは広島で1年間を過ごしたことを前向きにとらえています。

ファジリャさん
「広島に来たとき、本当に辛かった。時々、悲しくて母に『なんで私たちを違う国に送ったの? お母さんやふるさとが恋しい。前の生活が恋しい』と言い、理解できなかった。今は理解できると思う。世界の状況は変えられないけど、自分の人生は変えられるし、自分たちの将来…、明るい将来への道を自分で進めることができます」
帰国後、ファジリャさんはこれまでオンラインで通っていたキーウの大学に通い、建築を学びます。マリアさんは料理を学ぶため、スイスの大学へ進学します。

ファジリャさん
「大学の雰囲気を感じたい。たくさんの人が大学は人生の中で本当に楽しい時間だったって言うから」
マリアさん
「将来、私たちが料理や建築で世界や、特に私たちの国で貢献できたらいいなと思う」
ファジリャさん
「妹は自分のレストランをオープンさせて、それがすごくいいレストランで、いろんな国の人がそのレストランに訪れるかもしれなくて、そうすれば、その人たちがウクライナを回ることになって、すごくきれいな国だと感じてくれるかもしれないし…」
家族が戻るのは、まだ戦争が終わっていないふるさとです。

ファジリャさんに「大丈夫? 怖くない?」と聞くと、静かにうなづきました。
広島駅にはマリアさんがジムで仲良くなった和田さんも駆け付け、最後の別れを惜しみました。
母のエディエさんは「2人の姿を見ると、日本に送り出した決断は間違っていなかった」と話します。3人は東京で数日間過ごしたあと、ウクライナに向けて出発する予定です。