佐々木さんに車を届けたのは、震災前から交流があった東京都東久留米市の、水辺の環境を守る取り組みを行う市民団体でした。大震災の発生直後、2011年4月のことです。
一番最初に車体にメッセージを書いたのは、東久留米の子どもたちでした。

(東久留米川クラブ 荒井和男さん)
「子どもたちって純粋じゃないですか。私たちも応援してますとか、とにかく生き延びてくださいとか、子どもらしい純粋な言葉がたくさんあったんですよ。単純に健さんに頑張れと、頑張ってくださいという気持ちをみんなで伝えようと」

震災当時、町の職員だった佐々木さんは、避難所の人々が生きるために必要な物資をサンバー一杯に積み込み、被災地を駆け巡りました。

(佐々木健さん)
「ガソリンが無いからまずガソリン買いに行こうと言った時に入れる物もないし、そうだ携行缶があればいいなってホームセンターに行列だったけど並んで買って(ガソリンを配って回った)。役場の車もそうだし、警察車両とかさ」

1990年代に製造され、かなりの時間が経過したサンバーはあちこちに故障があって車検を通すことは難しく、佐々木さんは止む無くスクラップにする決意をしました。
ところが、それを新聞報道で知ったある会社から「待った」がかかりました。
この日、佐々木さんの家を訪れたのはサンバーを製造した自動車メーカー・SUBARUの販売店、岩手スバル自動車の間野英雄社長です。


(岩手スバル自動車 間野英雄 社長)
「できればスバルとして引き取りさせていただき、このクルマをいろんな人に見て
もらう機会が作れればなと」

間野社長は、このサンバーには「震災復興の最も大切な要ともいえる人と人のつながりを感じる」と話します。