上田医師は当時を次のように振り返ります。
上田敬博 医師
「葛藤は全くないですけど、状態的には厳しい。どちらかというと、助けることができない確率のほうが高いイメージがあって、それも府警さんには説明しました」
やけどの負傷者は、京都から近い病院に次々と搬送されました。
ニュースで事件を知った上田医師は、一人でも多くの負傷者を受け入れるために、搬送された病院に片っ端から電話をかけ、転院を促しました。「近大病院はやけど治療が強いから患者を送ってくれ」と。
しかし、転院依頼はひとつもありませんでした。
事件翌日、上田医師のもとに、「診てほしい患者がいる」と京都の病院から運ばれてきた患者が、意識不明の状態の青葉真司被告だったのです。

「被告を生かし、裁きにかけることが亡くなった人たちや遺族のためにもなる」。被告を治療することに、葛藤は全くなかったと言います。
青葉被告の主治医として10回以上の手術を重ね、被告は一命をとりとめました。
上田敬博 医師
「意識が戻った時は、『自分が治療をしている主治医だ』というのを最初に伝え、『かなり広範囲に熱傷している』という話で治療が引き続き必要だという話をしただけです。特別扱いはしてないと思います。
ほかの患者さんに対しても一緒だと思いますが、あえてほかの患者さんと同じように接するのが大事だと思うので、斜めからや横から接するというよりも、正面から向き合うという姿勢だけは変えないでおこうと最初に思っていましたし、そういうニュアンスで話をしたことは覚えています」