東京電力福島第一原発事故で、福島県葛尾村(かつらおむら)の一部に出されていた避難指示が12日、解除されました。震災・原発事故から11年あまり、帰る人、帰らない人・・・。住民たちのそれぞれの思いを取材しました。

安部遼アナウンサー「午前8時ごろの葛尾村野行地区です。帰還困難区域の居住地域では初となる避難指示解除となります。間も無くゲートが開きます」

福島第一原発からおよそ20キロにある葛尾村の帰還困難区域。12日午前8時、一部の避難指示が解除されました。解除されたのは野行(のゆき)地区の「復興拠点」。帰還困難区域で住民が再び住めるようになったのは初めてのことです。

葛尾村篠木弘村長「これからがスタートでございます。野行地区の住民の方々に寄り添いながら、復興再生に取り組んでいきたい」

復興拠点に自宅がある半澤富二雄さん(69)。避難指示解除を受け、自宅に戻ることを決めました。

半澤富ニ雄さん「うれしいことでもあるんですけど、野行地区をどういう風にしてこれからやり直していくか、一からスタートになるような気がしている」

葛尾村は2011年の震災、原発事故で一時、すべての住民が避難を余儀なくされました。5年後の2016年、村のほとんどで避難指示が解除されましたが、野行地区は、放射線量が比較的高い帰還困難区域にあり、村内11の地区で唯一、避難指示が解除されませんでした。

半澤さんの自宅は動物に荒らされて住めない状態となり、解体を余儀なくされましたが、去年11月、生まれ育った野行地区に再び自宅を建てました。

半澤富二雄さん「この野行地区はやっと、ここからスタートなんだけど、(6年という月日で)どんどんどんどん周り(野行地区以外の村内は)は良くなっている。だけど、こっちはまだ全然(将来が)見えてない。そういう中ではすごく焦りがあって・・・」

震災後は避難先を転々としていましたが、いまは郡山市で家族4人で暮らしながら葛尾村に通っています。村役場で働きながらコメを中心に農業にも携わってきた半澤さん。去年から始まった野行地区でのコメの試験栽培を担っています。

半澤富二雄さん「農作業しながらお昼のご飯はおいしいく食べられるし、この場所で仕事をこれから続けたら長生きできそうだなって」

震災、原発事故から11年3か月が過ぎましたが、葛尾村に住んでいるのは467人と震災前の3割ほど。12日に避難指示が解除された野行地区では、復興拠点に住民登録がある30世帯82人のうち帰還の意向を示しているのは、4世帯8人にとどまっています。

そうした中で、野行地区を守るためにどうすればいいのか…。半澤さんは今後、葛尾村に限らず、同じ境遇の帰還困難区域の住民たちと話し合いを重ねていきたいと話しています。

半澤富二雄さん「これから入ってくる人の受け皿として、農地を荒らさないでどれだけこの野行地区を守っていけるかなっていうところが一番大事かなと思っているので」

一方で「戻らない」と決めた住民もいます。野行地区の区長、大槻勇吉さん(73)です。

大槻勇吉さん「俺は戻らない。うち壊したときから決めてたから」

震災前は葛尾村で林業に携わっていた大槻さん、現在は三春町の災害公営住宅で暮らしています。

大槻勇吉さん「避難した時はなんぼ長くたって1年くらいだと思ったんだよ。これがとても1年どころじゃねんだ…。(避難先に)3年もいると、こっちがよくなっちまうど」

いまは公営住宅にある工房に通い、木彫りの作業に没頭しています。帰還する人が少ない中、野行地区の「これから」を心配しています。

大槻勇吉さん「残したいと思っても、人が帰らないことにはどうしようもないしさ」

今も草刈りなど家の敷地の手入れに自宅に訪れるという大槻さん。息子夫婦や2人の孫と過ごした我が家は4年ほど前に取り壊し、今は更地となっています。

大槻勇吉さん「(11年改めて振り返って?)長い、長かった。11年は長い」

震災から11年3か月、生活の基盤はすっかり避難先に移りました。大槻さんは、ふるさとを思いながら、野行地区に新しい風を呼び込んでくれる人たちに期待しています。

大槻勇吉さん「これからのこと、いろいろ県や国あたりにバックアップをやってもらいたいなとは思っている」

それぞれの思いが交錯しながら、止まっていた時計の針が少しずつ動き出しています。

【スタジオ解説部分】
奥秋キャスター「帰還困難区域に住めるようになったのは、復興にとって大きな前進ですが、11年というのは長いですね。

安部アナウンサー「12日に避難指示が解除されたのは野行地区の一部で、まだ4世帯の避難指示は解除されていません。今後、帰還する人が少ない中、地区全体の除染をどうするのかなど多くの課題があります。

これから避難指示が解除される他の帰還困難区域にとっても、一つのモデルケースになると思います。行政は住民たちの声を丁寧に拾い上げてほしいと感じました。