「とにかく平和で暮らせる世の中を」 平良さんが生前に残した言葉

そして対馬丸撃沈から79年となる8月22日に慰霊祭が行われました。

対馬丸記念館 高良政勝代表理事
「遺族、生存者も年々高齢化そして少なくなり、戦争の悲劇非情を語り継ぐ人たちも少なくなってきております。これまで語り部として活躍してこられた平良啓子さん。去る7月29日帰らぬ人となり対馬丸事件を鮮明に語れる大切な人を失った私たちの喪失感と悲しみは計り知れません」

「今後は啓子さんの体験談と共に対馬丸のことを語り継いでいけたらと思っています。どうぞ、天国からこれから未来を歩む子どもたちをお守りください。」

遺族 平良輝子さん(98)
「戦争になんの関係もない子どもたちが犠牲になった。それを生きているご自分の経験を通して叫んでくださった」

遺族 新里真美子さん(75)
「長生きして経験を多くの方に伝えて欲しいなと思っていたので残念。最近また戦前の雰囲気という社会状況が気になる。ずっと平和でいて欲しいなと」

RBCとして平良さんへの最後の取材となったことし6月のインタビュー。平良さんは戦後生まれの私達にこう訴えています。

平良啓子さん(ことし6月)
「元気でいる間は、語り続けなければいけないという思いも、亡くなった子どもたちの為にも責任はあるという、感情を持っていて、日々を過ごしています。訳が分からないままに、戦争に引きずりこまれていくのが国民だからね。上に立つ人の命令に従っていくのが、これがいつの間にか洗脳されていっての、あとのことだから。私の願いはとにかく平和で暮らせる世の中をつくってほしい」

対馬丸の悲劇から79年が経ったとしても、戦争に巻き込まれた人たちの心の傷は決して癒えることはありません。

沖縄戦の実相を知る人がまた一人亡くなりましたが、戦争を知る人たちが語り続けたその経験と平和への思いを、私たち戦後生まれの世代が次の世代につなげていく。

それが同じような悲劇を繰り返さないために、できることなのかもしれません。