趣味の旅行は“肝試し” 「人としての幅を広げたい」

――「わたしのサステナ・ライフ」ということで、趣味は?

里村明衣子氏:
旅です。海外旅行が多いです。肝試しみたいなものですね。知らないところに全然調べないで行って、いかに自分で行動してちゃんとたどり着けるかどうか。どんどんいろんな国に行って試します。

――行く場所はどうやって決めますか。

里村明衣子氏:
行ってみたいなと。この間はモロッコに行きたいと思って、調べ始めて10分ぐらいでもう航空券取って。砂漠で一泊して風邪ひいて帰ってきました。

――旅先で何か記念に買ってくる?

里村明衣子氏:
何にも買わないです。ただ現地の人と仲良くなって、「また来るね」と言って、1年後にその人に会いに行って。その土地その土地で毎回会う人がいます。プロレスラーとしてではなく、人としての幅を広げたい。その土地でちゃんとその土地の人とコミュニケーションができるかとか、どういうことをすればちゃんと信頼が生まれるんだろうとか。

「対話が心を健康にする」 入門者一人一人と向き合う日々は自分自身の闘い

――もうひとつのテーマは?

里村明衣子氏:
3番の「すべての人に健康と福祉を」です。

――この実現に向けた里村さんの提言は?

里村明衣子氏:
「対話が心を健康にする」です。

里村氏がプロレス界に飛び込んだ90年代は女子プロレスブームの絶頂期。プロレスラーを志す女性も多く、ピーク時は3000人もの入門希望者が集まったそう。しかし、その後、人気は低迷した。

――2005年には所属団体が解散してしまった。

里村明衣子氏:
私が入門したときは入門希望者が何百人といたんです。年々減って、最終的には1年に1人か2人ぐらいでした。

――入門希望者が来ないのはなぜだと思っていましたか。

里村明衣子氏:
若手育成のための環境が整っていなかったということですね。あとは厳しすぎたんです。すごく厳しい世界でした。ついてこられなかったら、はい終わり。夜逃げが当たり前でした。

――なぜそんなに厳しかったのですか。

里村明衣子氏:
プロレス界は厳しいというところにみんな憧れがあって、昔から寮生活をして、本当に毎日厳しい練習をこなして最終的に生き残った人がトップに立てるという、すごく狭き門だったんです。今まではトップスターが現れて、そこにみんな憧れて入ってきましたが、それがだんだん少なくなってきたんです。

――里村氏なら耐えられるでしょうが。

里村明衣子氏:
私も厳しい世界に憧れていたので、まずそういう環境に身を置いて、自分を洗練して強くなっていくんだというのが普通だと思っていたんですね、プロレス界は。ただ、新人が全員辞めてしまっては選手がいないので、そこは改革しなきゃいけないなと。(所属していた団体の)解散の直前ぐらいに、自分自身でこの世界を変えなきゃいけないと思いました。

――観客に技を見せるということにおいては鍛えなければいけない。

里村明衣子氏:
「センダイガールズプロレスリング」という団体を設立したときは、人気低迷のところからの出発でした。そのときに入門してくれた5人の選手とちゃんと一人一人に向き合って、この子たちをプロにしようと、マンツーマンの世界でずっとやっていました。

所属団体が解散した後、仙台で新たな女子プロレス団体を立ち上げた里村氏。しかし、その船出は順風満帆ではなかった。

――仙台に来た5人は、どんな人たちでしたか。

里村明衣子氏:
今考えると、最初の1期生が結構荒れている子たちで、みんなスポーツ歴がゼロだったんです。プロレスをバカにしているのかと思いました。

――怒りましたか。

里村明衣子氏:
いや、怒らないです。入ってきた5人をなくしたらもう団体を作れないので。まずは全国から集まってきてくれた5人をどうにかプロにするという頭で、自分自身でも闘いでした。