関東大震災で大転換

関東大震災によって「日本橋魚河岸」は完全に灰燼に帰してしまった

築地の姿が大きく変わったのが1923年の関東大震災でした。東京は焼け野原と化し、築地も洋風の家々がすべて焼失してしまいました。そこに日本橋から魚河岸が移転してきたのです。そこから築地は魚河岸の町として大きく発展していきます。

関東大震災で壊滅した日本橋市場に替わって、築地が中央卸売市場となりました

築地を俯瞰してみると、扇形になっていることが分かります。これは、当時、全国から運ばれる魚の運搬手段が貨物鉄道だったことによります。築地は貨物の路線に対応するために扇状にカーブする線路を引き込んだのです。

築地の貨物駅にはひっきりなしに鮮魚を運ぶ列車がやってきました。現在は冷凍トラックの役目ですね

戦災を免れた築地

その後の築地は都民の台所として、大いに栄えました。そこに起きた第二次世界大戦。そして終戦。
幸運にも戦火を免れた築地は、常に不足していた食料品を、都民に供給する役目を負いました。戦後の築地は、まず場外市場から復興していったのです。

築地市場は、いまも場内と場外でハッキリと分かれています

1950年以降、場内市場の統制が解かれ、市場としての築地が完全復活。築地は世界最大の魚市場としての階段を駆け上っていくのです。
場内場外を問わず、鮮魚を運ぶ築地名物「ターレー」が築地の繁栄の象徴でした。

築地名物ターレー(ターレット・トラック)。円筒形の動力部が360度回転するため、小回りがきくのが特徴

場内のプロエリアではセリが行われます。免許を持つ仲卸業者でなくては入れません。
築地の売上は常に右肩上がり、バブル期には8500億円を誇りました。

80年以上の歴史に幕を閉じた築地市場