水の都と呼ばれる島根県松江市は、その地形からたびたび水害に見舞われてきました。梅雨の時期に警戒が必要な松江の水害とその歴史を、古い地図から探ります。

入江直樹 記者
「昔の地図を見ていたら、松江市中心部でお城以外のほとんどが水に浸かったように書いてあるんです。そんなすごいことがあったんでしょうか。」

1893年、明治26年10月の「松江市洪水浅深調査図」です。

当時の山陰新聞に載った地図ですが、松江市中心部のほとんどが黒く塗りつぶされ、水に浸かったことを示しています。

専門家に聞いてみると…

松江市松江城・史料調査課 面坪紀久 さん
「松江というのは江戸時代250年間の間にも約60回洪水の被害に遭っているという風に言われております。中でも一番大きな災害として挙げられるのが延宝2年(1674年)の水害と、それからこの明治26年(1893年)の水害。それから記憶にも新しい昭和47年(1972年)の水害が挙げられます。」

この、1893年の水害は台風で雨が降り続いたのが原因で、浸水は最大3メートルに。
市街地の大部分が1週間浸水して死者54人、浸水家屋1万9133戸、288戸が流出するなどの大被害となり、熊本にいた小泉八雲が50円を松江市に送ったといいます。

松江市松江城・史料調査課 面坪紀久 さん
「今の松江城の周辺というのは沼沢地、いわゆる湿地帯になってまして、そこを埋め立てて今の町並みが出来ていますので、やはり一段低く(地盤)沈下しやすいというような地理的な特徴があります。」

江戸時代の初め、松江開府の祖、堀尾吉晴は、半島状の山の後ろを削り取って独立した城山にし、その削った土で低地を埋め立て新たな城下町を造ったといいます。