“プーチンのシェフ”といわれサンクトペテルブルク時代来の友人だったプリゴジン氏の反乱。
モスクワに向かって進軍したかと思うと、突如進軍を中止。プーチン氏はプーチン氏で反乱を裏切りと断罪したかと思えば、進軍を止めると罪に問わないとするなど理解に苦しむ展開が続いた。プリゴジン氏は何がしたかったのか。プーチン氏はどうしたいのか。不透明なことが多い中、今回の“乱”によって明確になったことを取り上げた。

「軍や治安当局にもプリゴジンシンパっていうのがいる…」
ウクライナの戦線を放棄し、ロシアに刃を向けたプリゴジン率いるワグネルは、ロシア南部ロストフ州の南部軍管区司令部からモスクワに向け進軍を始めた。出発したのは24日とされ、モスクワの200キロ手前で進軍を止めたのが25日だ。注目すべきは、わずか1日でロシア南部からモスクワの200キロ手前までほとんど抵抗を受けることなくワグネルが進軍できたことだ。
ロシア国内には、もはや反乱を鎮圧する能力が無いのだろうか?

防衛研究所 兵頭慎治 研究幹事
「軍は積極的に制圧しようとしていないように見える。これはやはり全面衝突すると本当の内戦になってしまう。これはプーチン氏も避けたかったと思う。それから軍や治安当局にもプリゴジンシンパっていうのがいて、内部の分裂を懸念していた面もある。とにかく進軍のペースは異常なくらいに速かった。なのでロシア側があえて積極的に止めなかったという見方が強い。
一部の見方ではこの200キロ手前から流石に防衛線を築いていて、ここから先モスクワには近づけさせないということをクレムリンの側は考えていた。プリゴジンもそれを察知してこれ以上は軍事的に難しいと判断した可能性がある」
結局“乱”は静まった。がその一方、この200キロ手前まで簡単に進軍できたことに別の視点で注目する人がいる。
